とはずかだり

その時々、心に浮かんだことを綴ります

運動会

 26日(土)は、孫の学校の運動会を見に行った。全学年2学級ずつの小さい学校だが、校庭も狭いので、「保護者はシートなど持ち込みなし」で、立ち見なのだそうです。
私も全学年1クラスの小さな小学校出身だし、小規模校にしか勤めたことがないのだが、運動会のときに「保護者が敷物を持ち込んじゃだめ」というのは初体験だった。私が小学生のころは、小学校の運動会は、村のお祭りのようなもので、子どもが通っていない人達も見に来て、部落ごとにトラックの周りに茣蓙を敷いて陣取っていた。もちろん、給食はないから、お昼になると、そこへ子どもたちが行って、大勢で弁当を食べたものだ。先生方もそこに挨拶回りに来て、村人から酒を勧められて酔っ払っていた。午後の競技のスターターは、青年団の人がやっていた。
普通の家(経済力が)は、「はな」という祝儀を出した。そうすると、学校は、半紙に金額と氏名を書き本部テントに貼りだした上、「お花の御礼を申し上げます。〇〇様◇百円なり。ありがたくちょうだいつかまつります」と場内放送で周知していた。
娘が、私の体を心配して「あっちに敬老席のテントがあって、パイプ椅子が並べてあるよ」と言ったが、「来賓席や敬老席に座る人は、金を包んでいくんだよ。その代わり、弁当をもらえるだろうが」と言って立っていた。さすがに脚がくたびれた。
〔保護者は立ち見だ。立って居る場所は、教室と体育館を繋ぐ渡り廊下のようだ。〕

運動会保護者席
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  1. 2018/05/27(日) 09:00:00|
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危険プレー

 アメフトで危険な反則をしたと連日ニュースで取り上げられていた。私は、アメフトを見たこともやったこともないので知らないが、後ろからのタックルは危険だからと反則になるのかもしれない。それにしても、大相撲でも、張手を多用する横綱がいて批判されたこともある。しかし、大相撲では、張手は技の一つであり、反則ではない。げんこつで相手の横っ面を打つのはだめだが、平手ならOKなのだ。
今回の件で、けがをした相手選手は被害届を出したそうだ。「暴行罪で告訴するかもしれない」という報道もある。私は、あまりスポーツ好きではないので的外れになるかも知れないが、野球でデッドボールを受けたからと、ピッチャーを告訴するなどということがあるのだろうか?警察にゆだねなくても、審判や競技団体の判断で解決できなかったのだろうか?
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  1. 2018/05/26(土) 09:00:00|
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赤信号みんなで渡れば怖くない

 22日は、天気の良い日だった。「パークで筋トレ」に行くとき一度外に出たが、眩しいので戻ってサングラスを掛けていった。
 白髪の猫背の爺さんがサングラスを掛けてよろよろ歩いていたら他の人に気持ち悪がられるかと思い、じゃんけんでペアを組んだご婦人に「最近、外に出ると眩しくて、眼科に行ったら『加齢による白内障です』と言われたんですよ」と言った。そしたら、その婆さんは、「私は去年手術をしました」とのこと。その話を聞いていた近くにいた婆さんが「私は今、進行を抑える薬を飲んでいます」と言って、会話に入ってきた。加齢による白内障の人は意外に多いらしい。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉があったが、仲間がいるというのは気が楽になる。文字通り「同病相憐れむ」だ。
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  1. 2018/05/25(金) 09:00:00|
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パークで筋トレ

 22日(火)「パークで筋トレ」に2回目の参加をした。「筋トレ」と名打っているが、バーベルを持ち上げたり、腕立て伏せをやったりするわけではない。「ロコも体操」と言った方が良いかも知れない。周りを見たら、男性は老人ばかりだが、女性は40代に見える若い人(?)も混じっている。自分たちで号令を掛けながら、蟹の横歩きのようなことをやった。大きく横に踏み出すということは、片足立ちの時間が長くなるので、私などには難しい。
 また、二人組を作り、互いに握手をするように、しかし、手のひらが触れない程度に近づけて手を出す。そして、どちらかが偶数で、他方が奇数になります。偶数だったら、偶数の人が相手の手を握手のようにつかみます。その時、奇数の人は、手を掴まれないように素早く引っ込めます。奇数の時は、この逆になります。指導員の「じゃあ、始めますよ」の言葉で始まりました。次の言葉は「偶数」か「奇数」だと思っていたら、「5+3」という言葉だった。私たちは、素早く暗算して、相手の手を握るか、手を引っ込めるかするのです。次に「6÷3」になったり、「2×7」になったり、引き算になったりするのです。実はこの前に、「30秒間、できるだけ多くの人とじゃんけんをする」というのをやっていました。「勝ち負け、あいこは関係なく、何人の人とじゃんけんしたかです。そして、この何人とじゃんけんしたか数を覚えておきなさい」と言われていました。
しばらく「偶数・奇数」をやった後、指導員は、「お疲れさまでした。それではもう一度30秒間、相手を変えてじゃんけんします」と言って、30秒間じゃんけんをした後、「さっきより多くの人とじゃんけんした人は手を上げてください」と聞いてきました。何のことはない、「物忘れテスト」だったのです。よくやるこの種テストは、机の上に検査員が、自分の腕時計を外して置いたり、万年筆を置いたり、消しゴムを置いたりして、「何があるか覚えてください。後で聞きますから」と言って、ひとしきり関係ない話をした後、「さて、さっき並べたものは何だったでしょう?」などと聞きます。認知症検査などでやられ、私も受けたことがあります。公園でやったのは、これに少し身体反応を加えたものです。このような体の使い方が、寝たきり予防に役立つのでしょう。
夕方、「下の公園で今日やったことの復習をしてこようかな」と言ったら、妻に「大勢でやるから恥ずかしくないけど、一人じゃ恥ずかしいでしょう」と言われてしまった。
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  1. 2018/05/24(木) 09:00:00|
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一人は怖い

「一人は怖い」と言っても、「幽霊やお化けが出るのではないか」と恐れているわけではない。
20日(日)にも日本テレビの「笑点」を見ながら晩酌をやっていて、それを感じた。この日、妻は前の家の片づけ(不用品を業者に依頼して廃棄してもらう)に行って留守だった。実は、2年前に脳溢血で倒れたのは、この「笑点」を見ながら晩酌をやっているときだった。一人でいるときに再発したら、手元に携帯電話を置いていても、救急車を呼ぶこともできない。隣まで行って、娘一家に急を告げることもできない。また、風呂に入る時も同様である。浴室で滑って転倒しても、のぼせたりしてもSOSを発することができない。これが、「一人は怖い」の中身である。もう、親よりも長生きしたし、これから先、そんなにいいことがありそうな気はしないが、死ぬのが怖いのである。昔読んだ毛沢東の『実践論矛盾論』に「不安と言うのは、経験したことがない、ことから来る」と書いていたと思う。たいていの人は、一度も死んだことがないのである。だから、経験したことがないから不安を持っているのである。一度体験していれば、「あんなのたいしたことないよ」と楽な気持ちになれるのだが・・・。私も「三途の川からUターンしてこの世に帰って来た」とよく言っているが、あの世を体験したわけではない。
ひとりの時は、晩酌や入浴を控えればいいのだが、それができないほど情けない男なのです。そのくせ、妻がいるときは晩酌はやるが、「疲れたから寝る」と言って風呂にも入らずに寝てしまうのです。 
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  1. 2018/05/23(水) 09:00:00|
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