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とはずかだり

その時々、心に浮かんだことを綴ります

お蚕様

 孫が、世界遺産に登録された富岡製糸場の見学に行ったときの写真を利用して、若干の説明と感想を書き加えて「夏休みの自由研究にする」と言ったので、
「ジイジの家では養蚕をやっていたので、その話をしてやる」と次のような話をしてやった。
“蚕は『おごさま(「お蚕様の訛ったもの」)』と言われ、人間よりも大切にされた。人間の寝る部屋の畳を剥がして蚕棚を作り、そこで蚕を飼った。人間は、台所などで寝た。夏になって蚊が出ても、蚊取り線香を炊くと蚕に悪いので使えないため、人間は、蚊に刺され放題だった。同じように、蚤のためにDDTという薬があったのだが、これも蚕が死んだりすると困るので使えなかった。そのため、ジイジのパンツは蚤の糞の跡の赤い点々がいっぱい付いて、学校で体育の時間に着替えるとき恥ずかしかった。蚕の餌の桑には、毛虫が付いたが、これも殺虫剤の散布ができないので、首筋や背中などを毛虫に這われて痒くなった。そんなときは、薬局で買って来た500mlくらいの瓶に入ったアンモニアを塗った。これは鼻が曲がるほどのすごい悪臭がして困ったが、虫刺されにはほとんど利かなかった。”などの話をしてやった。人間の食料になるイネや野菜には農薬を散布するのに桑の木には農薬を使わなかったというのも『お蚕様』の実態を表しているだろう。「それで儲かったの?」と聞かれたが、儲かってはいなかっただろう。だから、戦後再開した養蚕も、私が高校生の時にまたやめてしまった。米の単作地帯だった故郷は、年に1度米の収入しかないので、時期のずれた繭の代金は、貴重だったのだろうが、出稼ぎに負けてしまった。
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  1. 2018/08/19(日) 09:00:10|
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