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とはずかだり

その時々、心に浮かんだことを綴ります

似たような体験

 『季語集』(坪内稔典;岩波新書)を読んでいたら、夏・時候「麦の秋」という項に“私の育った四国の村では、麦刈りと薩摩芋掘りの時期に1週間くらい学校が休みになり、小・中学生は家の仕事を手伝った”と書いてあった。著者は、私と同世代のようだ。私も小学生の頃、「農繁休業」があった。ただし、私が育ったところは、宮城県北部の米の単作地帯だから、農繁休業は田植えの時期だった。田植えは「結い」という部落の共同作業だったので、毎日、自分の家の田植えがあるわけではない。私たちの手伝いは何だったかというと、乳飲み子の弟妹や甥姪を「たばこ(山形では「小昼」といったらしい。「おやつ」休憩のこと)の時間に乳を飲ませに母親のところに連れて行くことだった。今の田植えは田植機でやるため、田植機を運転する若者1人でやっている。子どもはもちろん、年寄りや女房の手伝いもなくてもできます。稲刈りもコンバインや稲刈り機で行うので、農作業も家族総出や部落総出という場面はなくなった。田植えのときは、部落の「のど自慢」が、三橋美智也や島倉千代子の歌を歌いながら横一列に並んでやったものだ。エンジン音だけが響く今の田植えや稲刈りは、何となく寂しい。
 もう一つ「冬 生活・行事 鼻水」という項に“私などが小学生だった昭和20年代には、冬になると仲間はたいてい鼻水を垂らしていた。2本の青い鼻汁を長く垂らしている子どもも多く、服の袖でそれを拭くものだから、ことに男の子は学生服の袖がぴかぴかしていた。ところが、敗戦後の荒廃から社会が抜け出すとともに、なぜか子供たちの鼻水は急速に減った。”と書いてある。これも同じような体験がある。私などは、下唇を突き出して鼻汁を受けてズズーッと吸ったこともある。しょっぱい味がしたものだ。ちゃんとした本にこのようなことが書いてあるとうれしくなる。最近、テレビやラジオで「昭和は輝いていた」などというタイトルで、懐かしい流行歌や映像が流されることがあるが、私も年を取って「昔はよかった」と保守的な気分になっているのかも知れない。「明治は遠くなりにけり」と言われたこともあったが、その内、「昭和は遠くなりにけり」と言われるのだろう。 
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  1. 2018/09/25(火) 09:00:00|
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